ハーレーダビッドソンミュージアム #063

1930 SINGLE HILLCLIMBER OHV SINGLE

ヒルクライミングというスポーツは1930年代に花開いた。
(先ほどの展示では1920-30と言っていたんですが)
幾つかのコンペ(レース)が全米モーターサイクリスト協会の出資で行われ、さらに多くのレースが地方のクラブによって開催されていた。
1930年発行のHDマガジンの中の読者欄では、とあるエンスーが「いったい何回レースを企画するんだい」という質問をしていた。
(というくらい数多くのレースが開催されていたっつうことでしょう)
二気筒のヒルクライマーが一般的過ぎたので、あえてこの単気筒バージョンが作られたようだ。
エンジンは特注の500cc、BAFモデル。
(BAFモデルがなんだかわからないので時間があるときに調べておきます。)

ハーレーダビッドソンミュージアム #062

さて、今回からはヒルクライマーです。

丘を駆け上る競技に参加していた車両ですので後輪はチェーン装着になっています。

1928 FHAD HILLCLIMBER OHV V-TWIN

1920-30年代に盛んだったヒルクライミングでは、ジョー・ペトラリが有名なレーサーである。
彼はHD社のヒルクライムおよびダートトラックのチームに所属していた。
他の有名どころとしては、スウェデ・アンダーソン、ハーブ・レイバーと言ったところだろうか。
※ハーブのニックネームは「ミルウォーキー・スカイロケット」だそうだ。

すべてのHD社の工場で生産されたヒルクライマーは最強のパワーを誇っていた。
この試作エンジンは上部、ヘッド上にバルブを、下部には二つのカムを配置し(要はOHV)、この組み合わせはかつて無い強さと高効率をもたらしてくれた。

暗所での撮影なのでフラッシュたいたり焚かなかったりで、似たようなアングルの写真が複数あります。

ご容赦を。

ハーレーダビッドソンミュージアム #061

1936 EL FACTORY STREAMLINER OHV V-TWIN

1937年3月13日、フロリダのデイトナビーチにて136.183マイル/hで地上での最高速度記録を打ち立てたのがこのマシン。

創始者のウィリアム・ハーレーがナックルヘッドエンジンのプロモーションのために、このイベントを企画した。
ライダーはジョー・ペトラリ。既にレーシングの世界では伝説的なレーサーだ。

ハーレーダビッドソンミュージアム #060

1923 EIGHT-VALVE RACER OHV V-TWIN

HD社エースエンジニアのウィリアム・オッタウェイとハリー・リカルドのコラボによって、この怪物は産声を上げた。
8つあるバルブで燃料と空気を大きく呼吸し、内燃機の爆発で大きな力を生み出す。
2カム構造はエンジンからホイールに動力を無駄なく伝達する。
このレーサーは軽々と100マイル/hを出すことが出来た。
最高級の技術を注ぎ込んだ結果、当然コストに跳ね返り、開発費は1500ドルにもなった。

※小林多喜二の著述に1924年拓銀での初任給70円と言うのが見受けられますので、当時の為替360円だとすると、銀行マン初任給の7700倍に相当します。
(と言っても今の初任給仮に20万円で単純計算すると15億円になっちゃいますので、そんなにはならんだろ、と思いますが)

さて、このマシンは伝説の英国人レーサー、フレディ・ディクソンの所有である。
フレディは1928年にはモーターサイクルを卒業しカーレースの世界に挑戦、栄冠を勝ち取っている。

ハーレーダビッドソンミュージアム #059

1920 TWO-CAM RACER F-HEAD V-TWIN

1920はHD社のレース事業部にとっては良い年だった。
エンジニアはより改良を重ねたエンジンを開発し、ポンコツクルー達は勝利を手中に収めたきり手放しはしなかった。
低く位置されたサドルによって乗り手は空力的にベストなポジションをキープする事が出来たし、交換可能なスプロケでトラックの長さや欲しいスピードにあわせて乗り手が自由にベストセッティングを決める事ができた。

写りの悪い写真もう一枚おまけ。

ハーレーダビッドソンミュージアム #058

1916 MODEL T FACTORY RACER F-HEAD V-TWIN

モーターサイクルがこの世に存在するやいなや、レースもまた存在した。

初めてのレースは非公式なものだったが、多くのメーカーはこのような競技が広告にはうってつけだと言うことを知り、やがて公式にスポンサー付きのチームを創設するのだった。

1914年にHD社は初めてレースチームを発足させた。

”ポンコツクルー”(wrecking crew)と愛情込めてニックネームを付けられた8名のメンバーがこのようなバイクでトラックを駆け抜けた。

モデルTは特注でしか手に入れられなかった。

このバイクはオイルの循環システムが(意図的に?軽量化?)欠落しており、ライダーが走行中でも手動ポンプでオイルを供給しなければいけなかった。

ハーレーダビッドソンミュージアム #057

1927 MODEL S “PEASHOOTER” OHV SINGLE

1927年には350cc単気筒のレーシングクラスが作られた。
HD社はそのクラスにModel S を投入した。
ニックネームはエンジン音のポッポッポッと言う音にちなんで “Peashooter” (豆鉄砲)。
また、テレスコフォークを装着した始めてのバイクでもあります。

ハーレーダビッドソンミュージアム #056

1926 FHAC TWO-CAM RACER F-HEAD V-TWIN

ほとんどのレーシングバイクがそうであるように、FHACは流れるような形状を持ち、そして出来るだけ軽量化されている。
ミッションも無ければ、ブレーキも装備されていない。そしてスターターも無いため、他の車に牽引されないと始動出来なかった。
(ミッションが無いから押しがけもしんどいんでしょうね)
他、テーパー形状の冷却フィン、細くて軽量化されたフロントフォーク、ピットイン回数を減らすための幅広タンクなどの特徴がある。

ハーレーダビッドソンミュージアム #055

二階の左奥はレーサーやヒルクライマーが展示されています。

全体的に薄暗いつくりになっていますので、写真の出来栄えがイマイチな点にはご容赦を。
この辺はボードトラックレースのレーサーの紹介。
ボードトラックレースというのがどんなレースかはどこかで紹介したいなと思いますが、待ちきれないとか、ここには期待しないという人はググって見てください。

そんでは上の写真で左から順に。

1924 FH TWO-CAM RACER F-HEAD V-TWIN

FHレーサーはレースの技術を公道バイクに導入した初めてのバイクのうちの一台である。
エンジンは有名なデザイナーのハリー・リカルドによってレース用エンジンをベースに開発された。
燃焼効率をあげるためベストの混合気が出来るよう、ユニークなシリンダー形状をしていた。
フレームは Board tracks とか、Motordromes として知られる woo???speedways 用(*1)に開発された。
*1 フラッシュの露光のため???のところは読み取れなかったのですが、おそらくwoodenspeedwats = 木製のレースコースかと思われます。Board track = 板のトラックで Wikipedia の英語版に説明があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Board_track_racing

まさに最初の写真のようなトラックでのレースだったんでしょうね。

しかしながら1924年にボードトラックレースは終了してしまった。
コースメンテもしづらく、補修不能な状態になり、時には死に至る事故が立て続けに起きたためだった。

続く

ハーレーダビッドソンミュージアム #054

1942 MODEL U WITH SIDECAR SIDE-VALVE V-TWIN

このモデルUは湾岸警備用に米国海軍(Navy)から受注した。
当時約88,000台ものハーレーが米国軍用に製造されたが、モデルUはわずか40台作られただけだった。
装備はブラックアウトライト、サイレン、空気入れ、そして「目録(nomenclature)バッジ」・・・言うなればオーナーズマニュアルのようなもの・・・がガスタンクの上にマウントされていた。

これで二階、入り口から入って右側のブースの紹介は終わりです。
次回からは左側奥のブースの紹介。
二階は左手前、左奥、中央、右側に分かれており、左奥の紹介が終われば一階の紹介に移っていきます。