1962 D-3 GOLF CAR TWO CYCLE SINGLE
お次はゴルフカートです。1962年にこのマーケットに参入し、20年くらいはシェアの上位にいました。
ユーザー本位のデザイン、充実したサービスネットワークなどが奏功していたようです。
エンジン駆動、モーター駆動、三輪、四輪というラインナップがあったとのこと。
ハーレーに乗って23年経ちました
1962 D-3 GOLF CAR TWO CYCLE SINGLE
お次はゴルフカートです。1962年にこのマーケットに参入し、20年くらいはシェアの上位にいました。
ユーザー本位のデザイン、充実したサービスネットワークなどが奏功していたようです。
エンジン駆動、モーター駆動、三輪、四輪というラインナップがあったとのこと。
今回から3つはいずれもバイクじゃないものです。
ヤマハとかカワサキでも似たようなラインナップありますので、珍しい話でもないか・・・。
1964 T145 TOMAHAWK ARROW
そもそも二輪のノウハウで開発したものではなく、1961年にボートメーカーのトマホーク社を買収したことにより、このボートもカンパニーのラインナップに追加された模様。
買収の本来の目的はFRP加工の技術を手にいれるためだったが、買収後数年はボートの生産も継続していました。
カンパニーは現在でもトマホーク工場を所有しておりFRP部品の製造を続けています・・・ツアラーとかのカウルなどでしょうかね。
ウィリーGは1963年にカンパニーに入社しましたが、最初の仕事はトマホークのダッシュボードの設計だったそうです。
1963 BTH SCAT TOW-CYCLE SINGLE
今でいうオフロードバイクのはしりでしょうか。
ハーレーのオフ車ってあればオフのコアなライダーへの人気は無いかもしれませんが、ハーレー乗りの二台目需要ってあると思うんですけど・・・ ま、出ないか・・・・
以下展示プレート直訳。
アウトドア派のためにデザインされた一台。
ハンティングキット・釣りキットのオプションがあった。
上に反ったリアのボブフェンダーは耐久性を高めるためのデザイン。
車輪とフェンダーの間に充分取られたクリアランスはダート走行のために取られたもの。
ぱっと見サスが無いように見えるが、近寄って見てみるとサドルシート下にある「グリッドライド」サスペンションに気が付く。
これもこのバイクの特徴のうちの一つ。
20年後に似たようなデザインがソフテイルファミリーに採用されている。
1961 SPRINT C HORIZONTAL OHV SINGLE
いわゆるアエルマッキハーレーダビッドソンの一つです。
ライトウェイト市場での販売充実のためにイタリアの Aeronautica-Macci社との提携によって開発されました。
写真のモデルは250CCですが、1969年には350CCのデュアルエキパイに、1972にはセルとダブルダウンチューブフレームへの変更が行われ、そして1975年に別のモデルの登場によって、生産終了となりました。
後でアイルランドの交通博物館で撮影した別のアエルマッキもお披露目します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%90
上記リンク先によると後々アエルマッキはカスティリオーニ兄弟に売却されカジバになるそうです。
ふ~ん、そうだったのか。
ドゥカやハスクバーナ、モトモリーニ、MVアグスタ、売ったり買ったりまたハーレーが絡んできたり・・・
1960 MODEL A TOPPER HORZONTAL TWO-CYCLE SINGLE
知っている人は知っていますがHD社もスクーターを作っていました。
若い世代の購入層をターゲットにTVドラマのサンセット77(77 Sunset Strip)で知られる俳優の Edd “Kookie” Byrnes を雑誌広告のモデルに採用しています。
低めの重心、シフトチェンジなしの “Sccotaway” ドライブでトッパーの運転は非常に簡単なものでした。
燃費は100マイル/ガロン。
写真が少なかったので・・・愚息も写っていますが、後で各バイクに跨がれるコーナーもあり、そこで別のトッパーがあったので写真追加。
参考・サンセット77
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%8877
1981 NOVA TOURING OHC V-FOUR
ハーレーの中では異色中の異色じゃないでしょうか。
V4なのでV45マグナあたりを意識したのかと思いきやマグナは1987年の発表ですので、こっちのほうが先か。
このモデルにはカンパニーにとって沢山の「はじめて」が盛り込まれています。
・4気筒
・チェーンドライブのOHCカム
・水冷
実は写真のバイクは木やプラスチックのモックパーツだらけで、いわゆるプロトタイプです。
この時期カンパニーは経営的危機に陥っており、結局量産が始まる前にこのモデルは廃止になっています。
もしかしたらこの時期の経営課題が無ければエボの誕生はなく、ショベルでOHVは潰えていたかも知れません。
企画がオシャカになってヨカッタヨカッタ・・・
ただし、このバイクで得たノウハウはきちんと後世のモデルに生かされているとの事です。
1957 XL SPORTSTER OHV V-TWIN
ようやくスポーツスターの登場です。
蛇足ですが、スターを星のSTARと混同している人がいますが、スポーツスターはSTERと言う”~する人”、と言う接尾語で、スポーツする人のって言う意味になります。
ちなみにユーノスロードスターはSTER,(道する人?意訳して旅人?)
ヤマハのロードスターはSTARなので道に輝く星とでも訳しましょうか。
このXLは昨日紹介したKモデルの置き換えとしてリリースされました。
英車の北米マーケットへの侵食はより深刻さを増し、ライトウェイトクラスでの対抗馬として開発されています。
エンジンもOHVで新規設計されており、Kモデルに比べてよりパワフルになっています。
スポーツスターファミリーは1957年にデビューしてから今に至るまで、ハーレーの中では一番長く続いているモデルです。
・・・と展示ボードには書いていましたが、広義で言えばビッグツインファミリーのFLシリーズだって41年から続いてんじゃんと思ったりするんですが・・・どっかで途切れたのかな?
1954 KH SIDE-VALVE V-TWIN
名前こそ冠されていませんがスポーツスターの魁(さきがけ)とも言うんでしょうか。
エンジンはまだサイドバルブですがクランクケースの意匠はいまのスポーツにも通じるところがある気がします。
1953年末に発表されていますが、モデルイヤーは1954年で、位置づけは50周年記念モデルです。
この試金石となる年に発表されたバイクは「アニバーサリーイエロー」と呼ばれる黄色のペイントが施されていました。
この年の華やかな記念式典の影にもうひとつ考えさせられる出来事が起こっています。
かつてはカンパニーのライバルであったインディアンが1953年にその歴史を閉じています。
1954年にはカンパニーはアメリカで唯一の二輪メーカーとなり、英車の席捲に唯一対抗しえたメーカーとなってしまいました。
1955 MODEL B “HUMMER” TWO-CYCLE SINGLE
これも2ストシングルです。排気量は125cc。
展示プレートの説明を要約するとMODEL Sはこの時代165ccになっていたので、ライトウェイトモデルと言うことでリリースされたようです。
燃費は100マイル/ガロンと言うことなのでSI単位に直すと 38km/l でしょうか。
日本車並みに良いですね。
ハマーと言う名前はネブラスカにあるディーラーのオーナー、ディーン・ハマーにちなんで付けられたそうです。
彼の店がこの時代ライトウェイトモデルの売り上げが一番良かったため。
ハマーの名前が冠せられるのは1955-1959年に作られたMODEL Bのみだそうです。
ちなみにハマーはe-bayなどでもちょくちょく売りに出されていて、3000ドルくらいが落札価格の相場ですので、ビンテージとしてはお値ごろになっています。
私も何度かBIDボタンを押しそうになりました。
ナックルとか買いあさるより、この辺をターゲットに輸入販売する業者いても良いのにな、と思いますが。
今回からは一階の展示です。
1948 MODEL S TWO-CYCLE SINGLE
標記のとおり2ストの単発です。排気量は125cc。ニックネームも排気量のとおり”125”です。
発音はどうでしょうか、ワン・ツー・ファイブ?ワン・トゥエニーファイブ?
モデルSのSは”small”のイニシャルからとっています。
女性や、若者、通勤用、もしくはビッグツインが買えない購買層をターゲットに開発されました。
発売の1948年には売り上げは一位、ウィリアム・ダビッドソン社長は株主総会で、
「新車販売開始の1年でこんなに楽しめた機種はいまだかつて無い」
と絶賛したそうです。
これ、このままのコンセプトで復刻しても十分売れますね。
エンジンの設計からだとコストかかると思いますが、エンジンだけでもどこかからOEM受けたりして。
限定解除厳しい時代の日本だったらバカ売れでしょう。