思い出話その1 初めてのバイク④

さて、山形大学の工学部は1年目の教養課程は山形市小白川のキャンパスなのですが、2年からは米沢キャンパスに移ります。
ここの冬がとにかくすごい。

一晩で1メートル積もる事も年に数回ありますので、車が埋もれてどこに駐車したかわからなくなった、とか、気づいたら田んぼの中を走っていたとか、何かにつまづいたので見てみたら電線だった、とかそういう逸話が山ほどあります。

院に進むまでは車を持っていませんでしたので、もっぱらの足が、このDioでした。
冬はというと、やっぱり足はこれしかありませんでしたので、まずはタイヤチェーンを自作してみました。

ホームセンターで切り売りのチェーンを買ってきて大学の実習工場の設備を借りて梯子状に溶接。(5Sや安全管理に厳しかったですが、学生が自主的に工作機械を習得する分にはオープンな工場でした)
確かにグイグイ走りましたが、焼きを入れていなかったので数週間で破断。

結局スパイクタイヤを購入。交換もスタンドでバイトしていましたので自分でやりました。
リアタイアはマフラーをはずすのと、シャフトのボルトがかなり堅く締まっていますので、どうやって外すかが肝の作業になります。


スパイクは数十年前に規制されていますが、「代替手段がないかぎり」OKだったと記憶しています。

スパイクも雪道はガッツリグリップしますので、ちょっとしたダート走行気分を楽しめます。

ところで米沢という町、きちんと除雪車が出るのですが、除雪車自体の履いているチェーンの轍のせいでかなりの悪路になっており、冬を数年走破したあと、Dioのフロントフォークがガタガタになってしまいました。

18歳のときに購入して結局結婚前くらいまで所有していましたので、お付き合いは12年でした。寮の不用品一掃イベントで処分となりました。
ハーレーが所有歴では一番長くなってしまいましたが実際長く乗ったのはこのDioだったと思います。

Dio は2ストの宿命か、マフラーが詰まって最高速が新車当時に比べて20kmも出なくなり、また、普段の足が車やハーレーになってしまったので、乗る頻度が少なくなり不動車になってしまいました。

山形~仙台の関山峠を何往復かしましたし、メーターも2回りしましたので、乗りつくしたといえば乗りつくした方じゃないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA