ハーレーダビッドソンミュージアム #023

1935 MODEL R SIDE-VALVE V-TWIN

以下展示プレート原文訳です。

モデルRは1929年に発表された45ci(45立方インチ=750cc)のサイドバルブ、モデルDを元にした直系の子孫である。
1930年代中ごろ、多くのディーラーがHD社に対して45ciのエンジンでは遅すぎるとクレームした。
その回答としてHD社は改善を盛り込んだエンジンを搭載したモデルRをリリースした。
またとある秘密兵器も平行して開発中だった
この翌年1936年には強力な61ci(1000cc)のナックルヘッドが発表されることとなる。

結局のところこの展示プレートにはモデルRが45ciのまま、なんらかの改善をしたのか、それとも45ciから排気量アップなのかと言うことは書いていませんでしたが、 Wikipediaによると、80ci(1340cc)のモデル云々の記述ありますのでサイドバルブで排気量アップしたのがこのモデルRではないかと思われます。

ハーレーダビッドソンミュージアム #022

1934 VLD SIDE VALVE V-TWIN

以下展示プレート翻訳

大恐慌の間、数年におよぶ販売低迷の中、1934年はHD社の歴史の中で脚光を浴びる年となった。
この年、斬新な外観とパワフルなフラットヘッドエンジンが大当たりし、11,000台の販売を達成できた。
これは前年の3倍にあたる。
NRA(National Recovery Act 国家再生法?)により、解雇していた従業員を再雇用できることとなった。

ハーレーダビッドソンミュージアム #021

1934 MODEL C SIDE VALVE SINGLE

単気筒のサイドバルブです。

以下展示プレート意訳:

HD社は通勤用途、若年、女性層をターゲットにこのCモデルを開発したが、軽量二輪市場で欧州製のバイクと競合、結果販売状況は惨憺たるもの、また製造コストも高すぎた。
1934年をもってこのモデルはディスコン、その後1948年になるまでシングルモデルの生産はなかった。

ハーレーダビッドソンミュージアム #020

1933 VLD with 1934 LT SIDECAR SIDE VALVE V-TWIN

年式の若干違う本体とサイドカーの組み合わせです。

ハンドルバー上のスポットライトが特徴。

以下展示プレート翻訳

VLDのような「趣味とスポーツの」バイク、商用モデルのサービカー、トラックパッケージの売れ行きのおかげでHD社は恐慌の中でもかろうじて破産せずに済んだ。
この期間、HD社は新規開発や仕様変更のための余力はなかったため、シルバーや青緑色のツートンなど外観のデテール変更に注力した。
この展示車両はかつてのAMFの最高責任者であるロドニー・ゴットの所有であった。
AMFは1970~1980年代HD社のオーナーだった。

AMFというとAMF時代は品質悪化させたとかHDファンからはあまり良い印象持たれてないのじゃないでしょうか?

ハーレーダビッドソンミュージアム #019

1932 VL SIDE VALVE V-TWIN

以下展示プレート翻訳

大恐慌はモーターサイクル業界にとってもとんだ災難で、 このため多くのメーカーがこの業界から去ることとなった。 HD社も生き残りのために考えを新たにする必要があった。
工業用のエンジンなどを切り捨て、軸足をVシリーズのモーターサイクル一本に絞った。
社長のワルター・ダビッドソンは1931年の株主総会にて、
「モーターサイクル市場は未だ我々の食い扶持であり、なるようになると信じている。」とスピーチした。

なんかまさに今の時代と同じことがおきていたんですね。(※元記事はリーマンショックの直後に書いていました)

ハーレーダビッドソンミュージアム #018

1929 MODEL C SIDE-VALVE SINGLE

これも前回紹介したモデルDLと同じ年式のサイドバルブですが、単気筒です。
最近ではビューエルで単気筒モデルありましたが、単気筒でボアダウンして400ccのハーレーとか今でも出して良いのじゃないかと思います。
なんかビッグツインはだんだん大排気量にいく傾向にあるようですが。

以下展示プレート翻訳

A,Bモデルの弟分である30.5インチ(500cc)のモデルCは、初めは海外市場をターゲットとしていた。
この小さく、静かで、そしてツインエンジンよりも値ごろなバイクは、通勤やツーリングにとても適していた。
この時代のHD社のマーケティング資料はこのバイクは「あまたの喜びのスポーツ」と表現している。

ハーレーダビッドソンミュージアム #017

1929 DL SIDE-VALVE V-TWIN

いよいよサイドバルブの登場です。
このモデルと次回紹介するモデルCともヘッドランプが2灯になっています。

以下展示プレート意訳:

自動車の普及が進むにつれ、日常の足としての需要は二輪車から自動車へ置き換わり、以前に比べて二輪車の販売は厳しくなった。
HD社は二輪車を日常の足ではなく「趣味の、スポーツの」アイテムとして売り出すよう販売戦略を変えていった。
バイクをより魅力的なものにするために、力強さを求めて、直4エンジン90ciのシャフトドライブタイプなども含め、様々なタイプのエンジンを試してみた。
結果としてモデルDLの45ciのサイドバルブフラットヘッドエンジンがベストの選択として残った。
このサイドバルブエンジンはハーレーダビッドソンの歴史の中で最も長期間採用され続けた記録を保持している。

ハーレーダビッドソンミュージアム #016

1928 JH F-HEAD V-TWIN

= 展示プレート意訳 =
“2カム ツイン”としてよく知られるこのモデルによって、かつてはレーサーやヒルクライマー達だけが体験できたパワー領域を多くの二輪のエンスー達が経験できるようになった。
2つの独立回転カムにより実現した高圧縮により50馬力のパワーを吐き出した。
HD社は「今、誰もが高速、高馬力、高加速において世界記録レベルの2カムモーターサイクルのオーナーになれる」と広告した。

ハーレーでは初の2カムエンジンで、85-100mphでの高速走行が可能になっています。
また、このモデルから初めてフロントブレーキとエアクリーナーが採用されています。

ハーレーダビッドソンミュージアム #015

1926 BA OHV SINGLE

= 展示プレートの意訳 =
停滞しつつある二気筒市場への打開策としてHD社はAおよびB単気筒シリーズを発表した。
単気筒にすることで100ドルの原価改善になるだけでなく、燃費の向上、よりスポーティなパフォーマンスと言ったメリットがあった。
このシリーズは特に海外での売り上げが良かった。
それまでの標準であったサイドバルブに比べてよりパワフルなOHVエンジン初のストリートモデルだった事はAAおよびBAモデルにとってまったく障害とはならなかった。

1918年以来の単気筒の登場です。展示プレートには記載ありませんでしたが、
A, AAがサイドバルブの単気筒

博物館展示のB, BAがOHVの単気筒のようです。

これに遡ること1年、1925年にはティアドロップ形状のタンクが採用され、今のハーレーの基本スタイルがこのあたりで確立されています。

ハーレーダビッドソンミュージアム #014

1923 MODEL JDCA F-HEAD V-TWIN

= 展示プレートの意訳 =
1920年代初頭まではVツインがHD社のカタログの全ページを占めていた。
1923年に “Vees” はスポーツモデル2車種とシェアを分け合ったが翌年にはこのスポーツモデルは早くも消えていた。
いよいよ大衆化してきた二輪業界で勝ち残れるように、HD社はVツインエンジンの馬力、快適性、汎用性を重視するようになった。
Vツインエンジンは信頼性も高かった。900以上の警察署がハーレーを所有していた。
サイドカーやトライクのような追加オプションも実用性を向上させていた。

上記の Vees の意味が分かっていないのですが、何となく「V-TWINたち」を指し、スポーツの対向エンジンと区別したのかな?と思っています。
車両の色はBrewster green/ブリュースターグリーンだそうです。

展示プレートには記載ありませんでしたが、この1年前、1922年から74cui(1212.6cc)の新エンジンが搭載された車両(JD/FD)が登場しており、この車両もその中の1台と思われます。
ディーラーは67ヶ国まで拡大されています。