1939 ULH SIDE-VALVE V-TWIN
以下原文訳
大恐慌中はHD社はリサーチや開発に投資をする余裕がほとんど無かった。
その結果、この時期の変更点は外観だけのマイナーなものだけになっている。
このバイクの注目点はスタイルのディテールにある。
この前のモデルのULH スポーツはツートンの塗装のみだったが、このモデルには塗装の境目にセパレートラインを描いている。
その他の変更点はキャッツアイのダッシュパネルとフェンダー上のステンレスのストライプなど。
ハーレーに乗って23年経ちました
1939 ULH SIDE-VALVE V-TWIN
以下原文訳
大恐慌中はHD社はリサーチや開発に投資をする余裕がほとんど無かった。
その結果、この時期の変更点は外観だけのマイナーなものだけになっている。
このバイクの注目点はスタイルのディテールにある。
この前のモデルのULH スポーツはツートンの塗装のみだったが、このモデルには塗装の境目にセパレートラインを描いている。
その他の変更点はキャッツアイのダッシュパネルとフェンダー上のステンレスのストライプなど。
1938 WLD SIDE-VALVE V-TWIN
1930年代は、HD社はWLDのようなサイドバルブフラットヘッドモデルの安定した販売に信頼を置きつつ、OHVのナックルヘッドエンジンを徐々に市場展開し始めた。
移行のさなか、ELに採用されたような丸型タンクや流線型のパネルなどがWLDにも流用された。
1937 UH SIDE-VALVE V-TWIN
長引く大恐慌の中でもUHはフラットヘッドパワーと言う旧タイプでありながら堅調に売れるモデルとして残っていた。
新機種のナックルヘッド、ELの売り上げも回復しつつあり、UHの見た目のほとんど、特にダブルループフレームなどELに酷似しているのが、その理由だろうか。
1937年モデルには初めてHD社の労働組合の標章が記載されている。
労働者はフォーラムで彼らの意見を正式に述べる事が出来るようになったし、時給10セントの増額、一週間の有給休暇の権利を得ることが出来た。
組合との関係はHD社の成功に寄与するほどのパートナーシップまで発展した。
1936 VLH SIDE-VALVE V-TWIN
以下展示プレート原文訳です。
VLHなどのフラットヘッドモデルも1930年代まで継続して生産されていた。
主に、例えば白バイなど商用社としての需要が充分あったためだ。
HD社の競合、インディアン社も同様にフラットヘッドタイプのエンジンを重視していた。
1935 MODEL R SIDE-VALVE V-TWIN
以下展示プレート原文訳です。
モデルRは1929年に発表された45ci(45立方インチ=750cc)のサイドバルブ、モデルDを元にした直系の子孫である。
1930年代中ごろ、多くのディーラーがHD社に対して45ciのエンジンでは遅すぎるとクレームした。
その回答としてHD社は改善を盛り込んだエンジンを搭載したモデルRをリリースした。
またとある秘密兵器も平行して開発中だった
この翌年1936年には強力な61ci(1000cc)のナックルヘッドが発表されることとなる。
結局のところこの展示プレートにはモデルRが45ciのまま、なんらかの改善をしたのか、それとも45ciから排気量アップなのかと言うことは書いていませんでしたが、 Wikipediaによると、80ci(1340cc)のモデル云々の記述ありますのでサイドバルブで排気量アップしたのがこのモデルRではないかと思われます。
1934 VLD SIDE VALVE V-TWIN
以下展示プレート翻訳
大恐慌の間、数年におよぶ販売低迷の中、1934年はHD社の歴史の中で脚光を浴びる年となった。
この年、斬新な外観とパワフルなフラットヘッドエンジンが大当たりし、11,000台の販売を達成できた。
これは前年の3倍にあたる。
NRA(National Recovery Act 国家再生法?)により、解雇していた従業員を再雇用できることとなった。
1934 MODEL C SIDE VALVE SINGLE
単気筒のサイドバルブです。
以下展示プレート意訳:
HD社は通勤用途、若年、女性層をターゲットにこのCモデルを開発したが、軽量二輪市場で欧州製のバイクと競合、結果販売状況は惨憺たるもの、また製造コストも高すぎた。
1934年をもってこのモデルはディスコン、その後1948年になるまでシングルモデルの生産はなかった。
1933 VLD with 1934 LT SIDECAR SIDE VALVE V-TWIN
年式の若干違う本体とサイドカーの組み合わせです。
ハンドルバー上のスポットライトが特徴。
以下展示プレート翻訳
VLDのような「趣味とスポーツの」バイク、商用モデルのサービカー、トラックパッケージの売れ行きのおかげでHD社は恐慌の中でもかろうじて破産せずに済んだ。
この期間、HD社は新規開発や仕様変更のための余力はなかったため、シルバーや青緑色のツートンなど外観のデテール変更に注力した。
この展示車両はかつてのAMFの最高責任者であるロドニー・ゴットの所有であった。
AMFは1970~1980年代HD社のオーナーだった。
AMFというとAMF時代は品質悪化させたとかHDファンからはあまり良い印象持たれてないのじゃないでしょうか?
1932 VL SIDE VALVE V-TWIN
以下展示プレート翻訳
大恐慌はモーターサイクル業界にとってもとんだ災難で、 このため多くのメーカーがこの業界から去ることとなった。 HD社も生き残りのために考えを新たにする必要があった。
工業用のエンジンなどを切り捨て、軸足をVシリーズのモーターサイクル一本に絞った。
社長のワルター・ダビッドソンは1931年の株主総会にて、
「モーターサイクル市場は未だ我々の食い扶持であり、なるようになると信じている。」とスピーチした。
なんかまさに今の時代と同じことがおきていたんですね。(※元記事はリーマンショックの直後に書いていました)
1929 MODEL C SIDE-VALVE SINGLE
これも前回紹介したモデルDLと同じ年式のサイドバルブですが、単気筒です。
最近ではビューエルで単気筒モデルありましたが、単気筒でボアダウンして400ccのハーレーとか今でも出して良いのじゃないかと思います。
なんかビッグツインはだんだん大排気量にいく傾向にあるようですが。
以下展示プレート翻訳
A,Bモデルの弟分である30.5インチ(500cc)のモデルCは、初めは海外市場をターゲットとしていた。
この小さく、静かで、そしてツインエンジンよりも値ごろなバイクは、通勤やツーリングにとても適していた。
この時代のHD社のマーケティング資料はこのバイクは「あまたの喜びのスポーツ」と表現している。