ハーレーダビッドソンミュージアム #007

1911 MODEL 7-A ATMOSPHERIC-VALVE SINGLE

= 展示プレートの意訳 =
1910年代は「静かなる灰色の仲間たち」の時代だった。
この「ルノーグレイ」色のモーターサイクルは本当に驚くほど静かだった。
その時代の広告には、
「この新鋭のハーレーダビッドソンは欠点がない — 潤滑油の使われている箇所の全ての稼動部品は適切なクリアランス(精度)で組み込まれているし、メカは通りの向こうからは聞こえないくらい静かだ。」
と描写されている。

この博物館の展示プレート、たまに叙事詩的な表現あり翻訳で頭悩ませるのですが、この灰色のことをルノーグレイと呼ぶというのがわかり、なんとか日本語にできたかな。
http://www.harleydavidson-paint.com/renault-grey.html

今まで紹介した車両で、
1906, 1909, 1911の3台がエントランスから上がった2階ホールの一つ目の島に展示されています。

1909&1011

ハーレーダビッドソンミュージアム #005

1906 MODEL 2 ATMOSPHERIC-VALVE SINGLE

= 展示プレートの意訳 =
並み居る競合が乱立する中でHD社の評判は耐久性と性能において際立っていた。
モデル2のデザインは”ループ”フレームと新規の大きなフライホイールが特徴。
当時のカタログには「我々はいかに安く、ではなく、いかに良く見えるかと言うところに努力している」と記載されている。

さて、Wikipedia の英語版やHD社のウェブページによると、
この翌年1907年にダビッドソン兄弟の長兄、ウィリアム・A・ダビッドソンがそれまで勤めていたミルウォーキー鉄道を退社し、HD社のツールショップの工場長として加わります。
会社も株式会社となり、株は4人で分配。
従業員は前年の倍の18人に。工場も倍の広さまで拡張され、約150台の車両が生産されました。
また、この年ウィリアム・ハーレーはウィスコンシン・マディソン大学を機械工学学士で卒業しています。

左から、
ウィリアム・A・ダビッドソン
ウォルター・ダビッドソン
アーサー・ダビッドソン
ウィリアム・ハーレー

写真はパブリックドメインのものを拝借

次の紹介は1909年モデルですが、フォードミュージアムに1907年モデルの展示があり、いずれどこかで紹介する予定です。

ちなみにループフレームについては、1903 Milwaukee Merkel motorcycle によく似たデザインとWikipedia に記載されていますので、ハーレーが最初というわけではなさそうです。

ハーレーダビッドソンミュージアム #004

さて、ここから一台一台紹介していくわけですが、HD社の歴史についておさらい。
Wikipedia の英語版より情報拝借。
1901
ウィリアム・シルベスター・ハーレー、自転車フレーム後付け・交換用の7.07cui(116cc),4inch フライホイールのエンジンをデザイン。
幼少期からの友人アーサー・ダビッドソンとともに約2年間、ミルウォーキー北部にある共通の友人、ヘンリー・メルク氏の工場にて勤務。

1903
アーサーの兄弟、ウォルターと3人で独立。
先の116ccのエンジンはエンジンだけでは丘を登れないほど非力のため、第2世代のエンジン開発が急務。
そこで開発されたのが24.74cui(405cc), 9.75インチフライホイールのエンジンとループ形状をしたフレーム・・・レーサー向けのプロトタイプはダビッドソン家の裏庭にある10 x 15フィートの小屋で産声を上げた・・・との事。


写真はパブリックドメインのものを拝借

下記写真は通称「シリアルナンバー・ワン」です。

1号機とはちょっと違います。理由は後述。
= 展示プレートの意訳 =
このバイクはちょっとミステリアス。
なぜなら・・・エンジンはハーレーダビッドソンの1号機として知られているものと一致せず。
※展示プレートには記載されていませんが、1号機のキャブはトマト缶を流用したもの、となっています。
フレームの刻印も年式は1905年となっており、オリジナルのものでは無いようです。
これらの奇妙な点が多数の議論の元となっています。
1990年代に、レストア専門家がナンバー「1」が刻印された複数の部品が使用されているのを発見し、このバイクの通称を「シリアルナンバー・ワン」にしました。
これにまつわる様々な疑問はこの「シリアルナンバー・ワン」を伝説たらしめました。
唯一はっきりしている点は、「シリアルナンバー・ワン」は現存する最古のハーレーダビッドソンだ、という事。

ウィリアムとアーサーの同級生だったヘンリー・マイヤー氏も1903年モデルを直接購入したとのことです。

この後1904年にはチャールズ・A・ラング氏によりシカゴに初のディーラーがオープン。


写真はパブリックドメインのものを拝借

“SERIAL NUMBER ONE”は「ハーレーダビッドソンミュージアム #003」の一番上の写真から見て右側の部屋に展示されています。

以下 SERIAL NUMBER ONE の別の写真

ハーレーダビッドソンミュージアム #003

券売所の反対側にある階段を上って二階へ。これが見学コースです。

私はストローラー(乳母車)があるのでエレベーターで上って一旦有料エリアの外に。
これが二階のチケットチェックから有料エリアを望み見た画です。
ナックル以前のモデルがずらっと。おもわず涙が出ます。

この左右・奥に展示室があり、右手には後述のSEIAL NUMBER ONEや旧車両が展示。
左手手前にはエンジンや3D映像等の展示、左手奥にはタンクの展示があります。

ハーレーダビッドソンミュージアム #002

さて、翌日入館。これが入り口。
一瞬扉だか壁だかわからず迷います。

中から扉を撮影。豪奢です。

券売所(価格は2008年当時)
大人(18-64) 16ドル
子供(5-17) 10ドル
子供(4才以下) 無料
学生・お年寄り 12ドル

入って正面でJDがお出迎えしてくれます。
これは実際試乗して写真撮影が可能です。
エンジンは掛かりません。

写真撮影のサービスもあり、後日貰ったカード(下の写真)に書いてあるURLにアクセスして写真をダウンロードできます。
・・・出来ますが、画質がむちゃくちゃ粗い。
是非自分のカメラでも撮影することをお勧めします。

入館チケット・大人用

入館チケット・大人用(別柄)

入館チケット・子供用

入館チケット・裏面

入館チケット・裏面(別柄)

当時は次男が4歳以下でしたのでフリー、大人2・子供1で42ドルでした。

尚現在は、

大人(18-64)     20ドル  (2008年 16ドル)
子供(5-17)        10ドル  (変更なし)
子供(4才以下) 無料        (変更なし)
学生・お年寄り  14ドル (2008年 12ドル)

で、若干値上がりしています。

次回に続く。

ハーレーダビッドソンミュージアム #001

アメブロで投稿していた記事の焼き直しです。
Seesaaで焼き直ししていたのですが、いまいち使い勝手が悪く早々にこちらでの再立ち上げとしました。週1~週2の更新を目標にやっていきたいと思います。

2008年、サンクスギビングの休暇を使ってミルウォーキーのハーレーダビッドソンミュージアムに行ってきました。場所はココ
リーマンショックの影響もあり、自動車業界の不況で生産調整が入り臨時の休暇も頂いて9連休の中3日をこの旅行に充てました。
当時住んでいたミシガンのロチェスターヒルズからはミシガン湖を迂回、シカゴを抜けて約6時間半の道のり。
途中シカゴでの渋滞にはまりましたが、大体予定通りの到着。
博物館訪問は翌朝からですが、下見。

駐車場に入ったところ。
平日・開館前の到着のせいか閑散としています。
ちなみに旗に書かれている「HO・HO・HD」、クリスマス前なのでしょうね。
日本じゃあまり馴染み無いかもしれませんが、サンタの決めゼリフ「HO・HO・HO」、「ホッホッホッウ~」に引っ掛けたちょっとした駄洒落。

壁にHARLEY DAVIDSON の文字

斜め後方に振り返ったところ。先に見えるのが6番街通り。
その向こうがミルウォーキーのダウンタウンです。

真後ろに振り返ったところ。
道を挟んで向こうはセメント会社です。

南を背にして撮影。
奥が博物館の建屋、手前がレストランとショップです。
別棟になっていますので博物館には入場せずレストランだけとかショップだけの利用も可能。

ハーレーロゴにフォーカス

西に見えるのがTHE IRON HOURSE HOTEL.
建物自体は1907年のもの。HD社創立より若干遅いものの同年代の建物です。
ホテルは2008年開業。ほぼHD博物館訪問者用です。なかなか渋いバイクも飾ってあったような。
うちは食事等の便を考えダウンタウンのホテルにしました。(安かったし)

本日はここまで。